Japanese Language Summary of my MA Thesis (情報社会の技術と弁証法:情報社会論の日本的起源の要旨)

The following is a summary of my MA Thesis, Technics and Dialectics of the Information Society, which I recently submitted as a part of a doctoral application.  It certainly isn’t written in wonderfully flowing Japanese, but it is the longest composition I have written in Japanese thus far.  I will likely be making some posts in both English and Japanese in the near future.

情報社会の技術と弁証法:情報社会論の日本的起源

情報社会の技術と弁証法で私は情報社会論の歴史的な発展を分析した。戦後時代から始め、政治経済学的に、そして哲学的に、日本の社会の変化を考えた。詳しくいえば、日本の占領、高度経済成長の時代、1973の経済危機の後の時代、そしてバーブル崩壊の後の時代に分けて、技術、経済、政治、国家、イデオロギーの関係を考えた。

主にJohn DowerEmbracing Defeatを参考にして日本の占領を分析した。米国の占領軍のイデオロギーと行動の矛盾を軸にしてその分析を行った。マッカサー将軍の言葉で、日本の占領は「開放」のための「聖なる任務」だったが、日本の新しい民衆主義は占領軍の独裁政治により建てられた。そしてその民衆主義は日本の官僚制度により行ゆれた、アメリカの戦後の新しい帝国主義と資本主義のものだった。占領軍の「上からの革命」はその開放、帝国、そして資本の矛盾により展開した。占領軍は日本人を開放するための「上からの革命」は成功しすぎ、「下から」の社会主義的な革命を動かした。マッカサーの占領軍は帝国と資本の軍だったので、社会主義は彼らの民衆主義の定義と大きく異なっていたために、その革命を止めた。その後の逆流で米国が西ドイツとイタリアのような「キリスト教民主主義」の形に自民党中心の政治制度を建てて、元ファシストの政治家と官僚に基づいたヘゲモニックブロックを作った。

日本の高度経済成長は1950年の朝鮮戦争の始めから行った。日本の国民的革命は失敗したが、アメリカの政府は共産主義の恐怖で日本を「アジアのワークショップ」にした。日本は社会主義がなくても、朝鮮戦争のためにアメリカ軍に大量の機械と部品を売り、日本の企業と経済は復活した。その始めから日本はアメリカ帝国のなくてはならない一部になり、アメリカとの貿易と技術移転で経済発展が続々と進んだ。その中では、支配階級だけではなく、多くの日本人が戦後の貧しい時代で想像できなかったほどに裕福になった。社会の格差が小さくなり、新たな階級平和が生まれた。そして、占領軍の多数がアメリカに帰り、彼らと協力した官僚は新たな「SCAPanese Model」で日本を支配した。

日本の社会は占領から大きい影響を受けたが、その影響は新たな経済制度を生んだ。アメリカ人は占領の終わりに「日本経済の異常化」に気がついた。行政指導などの政治経済的な現象はアメリカと戦前の日本と異なり、「発展国家」の新たな協調組合主義の始まりだった。占領で陸軍、海軍、内務省、財閥などの戦前のパワーブロックがすべて無くなりあるいは弱くなり、逆に占領軍とJoseph Dodgeの影響で財務省と通産省が非常に強くなり、日本の官僚と大企業が協力しながら資本主義的な高度経済成長を目指してきた。それは誰もが想像できなかったほどの大成功を収めた。

日本の高度経済成長は行政指導以外複数の原因があった。最初に日本の資本は戦後時代に非常に高い剰余価値率があった。1953年から1972年まで日本の平均給料は3倍上がったが、労働の生産力が5倍上がった。その差は日本の資本が相対的剰余価値として充当していた。なぜその率がそんなに高かったのだろうか。戦後時代に日本人の平均年齢は大変低かった。労働者は新たな技術の使いかたが簡単に学べ、扶養家族の数が少なかった。それで労働の再生産費は非常に低かった。そして占領軍の農地改革のおかげで、農地の人口は自立し、そこの家族の一部は季節労働者として中小企業で働いてきた。その人口の再生産費の一部は家族の農業生産から取ったので、彼らの給料は都市労働より安かった。それも日本の剰余価値率を高めた。政治的な原因を考えたら、1948年ー1950年の逆流の労働組合反対活動の影響や、行動経済成長の時代の給料の激増の原因で、日本の労働階級の革命的意識が弱くなった。それで日本人の福祉国家の建設の闘争も比較的に弱かった。福祉国家を作る圧力が弱い中で、日本の政府は資本の利益を増進することに集中する余裕があった。国際的な状況も日本の資本の利益を支えた。冷戦の事情でアメリカは日本の発展を積極的に支えた。日本との為替レートを安くし、技術移転を気前よく行った。その技術移転が日本の研究開発費を縮小した。最後に日本はアメリカのアジアでの帝国主義的な活動(対外支援、インフラ発展活動など)で大きな利益が受けられた。資本主義の最盛期は日本の最盛期にもなった。

しかし日本の経済発展が展開しながら、資本主義の危機性質も展開した。日本の農地の人口は都会の人口より裕福になり、季節労働者の人数も少なくなり、労働の供給も少なくなった。そして日本の人口は以前より豊かになったので、正出率が下がり、平均余命が上がり、日本の高齢化が始まった。そして労働者の扶養家族の数が増え、労働の再生産費が上がった。

同時に占領時代から始まった能力主義のイデオロギーが日本の教育制度の基になったため、労働階級の若者が高校と大学に進学し始め、就業年齢が高まった。これも 労働の供給を少なくした。こういう労働力不定は日本の中小企業から始まり、日本の成長産業に影響が広がった。こうして日本の資本の剰余価値率が下がり始めた。

また日本のイデオロギーの状況も変わった。日本の左派は占領時代の前期の「非軍事化と民主化」を採用し、60年代の世界革命の中で日本の学生運動と環境保護運動が現れた。こうした反資本主義的な意識に対して、日本の支配階級が恐れを抱いた。

また、アメリカからの技術移転が遅れることで、アメリカとの貿易関係がより難しくなった。60年代の後期から、アメリカを中心に日本も資本と帝国の危機に入った。戦後に世界の殆どの資本はアメリカに集中された。過剰生産を避けるためにその資本をヨーロッパと日本へ輸出した。しかし、日本とドイツの資本主義生産が1960年代の中旬からアメリカの生産を含めて世界的な過剰生産危機になった。同時にベトナム戦争などの反帝国主義の争いがアメリカの予算に厳しい圧力を与えた。この2つの原因で世界システムが危機に入り、そのため1971年−1973年で日米関係も大きい変革があった。戦後の固定された為替レートシステムが倒れたため日本円が高くなり、アメリカへの輸出が少なくなった。そして1973年にオイルショックがあったので石油に頼ってきた日本の企業が運用コストが激増した。そして日本の労働費が高度経済成長の時代に高くなったので、発展途上国と低付加価値生産で競争できなくなった。この危機に全体的に対応できる対策が必要になった。

1973年のオイルショック前後でその対策について大きな議論があった。その議論では3つの立場があった。まず、田中角栄の日本列島改造論がインフラ計画を中心にして、日本の経済をケインズ主義的な方法で復活する予定だった。そして日本の社会保護制度をヨーロッパのレベルに改善する提案があった。しかし、この2つの提案は厳しく批判された。日本列島改造論はインフレを悪化する恐れがあり、日本の環境を破壊する恐れもあった。社会保護制度を改善するに対して国債を増やし、資本家部門の投資を減らす恐れがあった。しかしもう一つの代わりの対策があった。その対策は情報社会論だった。

情報社会論は最初にJACUDIというシンクタンクが「情報化社会計画」という提案で発表された。その提案は様々な分野で日本の資本主義的蓄積の障壁の超え方を発表した。まず、ロボットやコンピュータを省力節約のために使う提案をした。特に労働力不定の事務業務でコンピュータを使い、工場でロボットを使う提案だった。そしてローマクラブが話題にした成長の限界と環境問題に対し、情報社会論が「工業化から情報化へ」の提案をした。つまり、情報は「非物質」なものだから、情報に基づいた発展は「唯物主義」ではなく、工業的でもない。これは新左翼の批判の一つの答えだった。それから情報社会論の「情報化」は同時に商品化でもあった。最近当たり前になったサビースと情報「デジタル知的財産化」はこの時代から始まった。情報化社会計画は特に教育と通信販売の発展を推進した。最後にその提案は日本の外務経済的問題の解決する方法を提案した。日本は1970年代に二つの外務経済的問題があった。まず、低付加価値生産の競争で負けること、そしてアメリカの新たな貿易障壁を越えること。情報社会論によると情報経済開発として日本の教育、研究、そして知識を使い、発展途上国が作れない新たな情報的商品の生産で日本の経済発展を延長できる。そしてその新たな商品はアメリカの貿易障壁に含まれていなかったので、自由に輸出できると提案した。

最後に情報社会論は情報技術の利用でオイルショックに対しての節電対策ができると提案した。

モリス・スズキによると情報社会論は資本主義の新たな時代の始まりだった。彼女はその時代を「情報資本主義」と呼んだ。普通の社会主義的経済分析はマルクスの労働価値説を使い、資本主儀を説明する。労働価値説によると、すべての価値は労働者の成果である。自動化が早く普及する情報社会で、労働時間が激減するので、経済危機が発生する。しかし、モリス・スズキによると情報資本主義で、労働だけでなく、情報も価値を作る。この「新たな利益の源」により資本主義はその危機を避けられる。しかし、私の分析によると、これは間違っている。知的財産により知的財産は確かに利益の源になるが、利益の取得と価値の生産は同じことではない。利益の取得は実現された価値の配当の一部である。つまり、すでに生産された価値の配当である。それで、知的財産を持っている資本家は利益(Rent)として利益(Profit)を得ることができるが、その知識で価値は生産できない。それで情報化や自動化と価値の生産の矛盾がまだある。

モリス・スズキがBeyond Computopiaで情報資本主義の経済面を詳しく説明したが、情報資本主義のイデオロギーの分析が明確ではないと感じた。それで私は情報化社会計画の筆者である。増田米治の最も著名な本、「The Information Society as Post-Industrial Society」のイデオロギー面を分析した。増田の文章を読むと、経済と理想の矛盾が非常に目立つ。彼が提案した経済的な計画は漸進的であるが、その計画として作られる将来は非常に革命的、ユートピア的に描かれる。増田の作品では、技術の発展は神の意志を表すので、彼によると技術的な発展は天国への前進を推進する。彼は19世紀のキリスト教的な社会主義のように、その天国は国家のない共産主義社会であると想像したが、その社会は階級闘争の結果ではなく、情報技術が自動的に作る社会だと考えた。増田のキリスト教的な信心がただの資本主義的な蓄積戦略にインスピレーションを与えるイデオロギーに変化させた。つまり情報化社会論は効果的な新左翼対策であった。しかし、増田の技術決定論は実際には不可解なものであり、それによって現実を覆い隠すものであった。マルクス主義や科学技術社会論の研究の結果を参照すれば、技術自体は社会の進化を決定しない。私は社会と技術の繋がりについて論じた哲学者、ヘルベルト・マルクーゼとアンドリュー・フィンバーグの哲学を使用して、増田の技術決定論を批判した。増田の作品は新左翼に対する答えであったが、情報化社会論の理想性は逆にハッカー運動のような社会運動へも波及していた。皮肉なことに、この社会と技術の弁証が増田の理論に反証こととなった。

情報社会論は70年代から80年代まである程度成功したが、80年代の後期で危機に入った。自動化と通信技術の進化は進んだが、新自由主義、金融化、そしてグローバル化で情報資本主義は日本の国境を超えた。世界の金融分野が強くなったので、日本の通商産業省と財務省が日本の企業の財務を管理できなくなった。そしてオフショアリングで日本の企業が国際化した。つまり、情報社会の発展が進んだが、それは日本の資本主義と発展国家を超え、グローバル資本主義のレベルへ進化した。マヌエル・カステルがそのグローバル資本主義社会、情報社会を「ネットワーク社会」と呼ぶ。しかし、私の考えでは、カステルはそのネットワーク社会 の自由化を強調しすぎている。確かに日本の国家は現在「発展国家」とはいえない。また、日本の文化はある程度国際化した。しかし、日本の国家や官僚の影響はまだ大きく、日本の文化はまだ偏狭な部分がある。そして日本の市民社会はカステルがいったより弱いと考えられる。情報社会論やネットワーク社会論がいっているように社会変化は自動的に起こらない。日本の国民は現在官僚制度や核エネルギー企業と闘争しているが、勝利はまだ遠い。情報社会論が想像した社会革命は技術の変化だけではなく、組織化、努力、そして大きな意識の変化が必要だろう。

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